Yasuo Shinzawa
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私がヤフー掲示板、サッカー日本代表カテにどっぷり浸かってた頃、現代表がそっくり航空機事故である日突然いなくなってしまったら・・・それをタイムリープで知ってしまったら・・・という着想に任せて、勢いで書いたものです。ジーコの予選の時だから2004〜2005年ですかね。
書いただけならまだしも、さらに勢いで板にアップしてしまったのですが、存外に支持していただいて事なきを得ました・・・今から考えても冷や汗が出ます。
今なら懐かしさだけで楽しんでもらえるかもと思い、こっそり再掲します(笑)
ニッポンコールは聞こえるか
capter 1
★
タイムマシンがあっても、未来を見てしまうことほど、つまらないことはない。生きる意味を大半放棄したに等しい。
僕はどんなにこの先ひどい人生を送ったとしても、自殺はしないでおこうと思うのは、日本サッカーの行く末を見てみたいからだ。
そしてそれは、リアルタイムで見てこそ価値がある。結果だけ知って情報を蓄えておくことに、何の意味もない。
日本がW杯に初めて出ることが決まったとき。
山口のループシュートに沸き立たった後、混乱のうちに追いつかれ追い越され、しばらくの沈黙の後延々と仲間と加茂批判を行った国立での韓国戦。
アルトマイで終了間際に決められた同点ゴールとアナウンサーの悲痛な絶叫。膝をついて地面を叩き、叫ぶ川口。
もうだめだとあきらめた瞬間、まだ日本にツキはあるのかもしれないと思った、タシケントでの呂比須の同点ゴール。
今度こそ予選敗退を覚悟したUAEとのドロー。
しかしNステで都並が言った「UAE、浮かれすぎです。どこかでコケますよ。ドーハで韓国に勝った時の僕らと同じです」
とどめを刺されると覚悟していたソウル・チャムシルでの完勝。
「UAE、ホームでウズベキとドロー」の報に思わず拳を握りしめた夜。
そしてイランとの死闘。
リアルタイムでなければこの感動はない。未来を垣間見て友人に自慢することに、耳クソほどの価値もない・・・
・・・しかし、2005年、日本代表は一体どうなっているのだろうか。
誘惑に負けた。一日だけ過ごし、そこで得られる情報だけで帰ってくる、人には話さないというのが自分の中の譲歩だった。
僕はどうしてもあと2年が待てずに、禁断を犯した。
★
アジア最終予選。その日は奇しくも勝った方がドイツW杯出場という、プレーオフの大一番が行われることになっていた。
「日本×カタール」
これはラッキーだと思った反面、プレーオフ? 出場枠は?4.5もあったはず。
日本、またもや最後に大一番? 何をしてる。楽勝で抜けてるはずじゃないのか。
「最終予選はセントラル方式や。オセアニアも含めて、枠は5になってな。10チームが2グループに分かれて総当たり。各組上位2つが無条件に勝ち抜け。各組3位同士がプレーオフの一発勝負、併せて5」
日本はグループ5カ国中3位?
「何ゆうてんねん、ようやってるで」
わからない。
「・・・あ、試合始まるで」
国歌が流れる。トルシエはポロシャツを着てベンチで見守っている。誰かの死を悼んでか、喪章を腕に付けている。カタールで実績を残したのか。まさに師弟対決というわけだ。果たしてジーコのサッカーは、トルシエのサッカーを凌駕できるのか。
しかしグループ5チーム中3位。それが解せない。史上最強と言われた今回の日本はその程度だったというのか。ピークを迎える中田や小野、中村や稲本らを擁しながら、高原だって、小笠原だって、大久保だって選ばれているはずだ。
それで、そんなものだったというのか。
君が代と共に映し出される先発イレブンの映像に、僕は思わず反応した。
「ゴン? 何が悪いねん。彼はゴール決めてるで」
しかし、中山雅史って。今いくつなんだ。
高原や大久保、柳沢はどうしたというのだ。
しぶといなー彼は・・・そう思って苦笑した次の瞬間、テレビに映し出されるベンチの映像に唖然となった。あれは誰だ? 見覚えはあるが。
あれはジュビロの監督? アルディレス??
『選手はどのような思いでこの君が代を聴いているのでしょうか。
まさに最終予選直前、日本、いや世界に衝撃が走りました。日本代表チームを乗せた旅客機の墜落事故。生存者は・・・』
え?
「そうか、アンタはまだ知らんのか」
『我々は、一瞬にして、日本のかけがえのない財産というべき、日本代表23名、スタッフ、そしてジーコを失ったのであります』
★
『日本は、この10余年の日本サッカーの努力の結晶ともいうべき中田や小野、中村を始めとする代表チーム、そしてジーコを失ったのです。アジア1次予選から直接指揮を執ってきた山本監督も、もういません。
この未曾有の惨事に日本国民は言葉を失い、悲嘆に暮れました。海外で活躍する選手のチームメートも深く悲しみました。そして、世界中の人々がこのショッキングなニュースに衝撃を受け、哀悼の意を捧げています。
国は違えど、彼らは理解しているのです。自分の国の代表を、ある日突然、そっくりそのまま失うことの意味を。愛する選手たちを、この世から取り上げられた理不尽さを。多くの同情と励ましの言葉が、日本に贈られています』
血の気が引いた。選手やスタッフの喪章は、日本代表の死に対するものだったのだ・・・
「最終予選の5日前や。ホンマやったらもう予選は辞退するところかもしれんけど・・・協会とJリーグが動いたんや。この10年を無駄にするわけにはいかん言うてな。ファンの中には喪に服すべきやと言う奴もおったけど、いざ事が始まったら納得して協力しよったわ」
最終予選のメンバーは急遽選抜されたらしい。ほとんど戦術確認や連携を合わせる猶予もないので、最も国際経験の豊富なJ1クラブチームであるジュビロ磐田の先発メンバーを基盤に、他チームから補強する形で選抜された。
監督にはそのままジュビロの柳下正明が就任、最終予選経験者の岡田武史、Jリーグに造詣の深いアルディレスがその補佐となった。
Jリーグは休止し、選手も、ファンも、固唾を飲んで最終予選の行く末を見守っていた。
精神的なショックと突然の招集で日本は調子が上がらなかった。
同組でライバルと目された韓国に0-3と完敗し、勝ち点3の欲しかったクウェートとは0-0のドローに終わる。しかしイラン戦を粘って2-2のドローに持ち込むと調子を取り戻し、UAEには1-0と勝利して、なんとかAグループ3位に滑り込んだのだった。
一方カタールは、慣れない高温多湿の地への遠征で調子が上がらなかったとはいえ、オーストラリアを下しての堂々のBグループ3位だった。
こんな展開になっていようとは。まさか全てを失っていようとは。
いや、失ったわけではないのか。現にW杯を賭けて、残された者たちが決戦に臨んでいる。
中山、名波、藤田、西、田中誠、鈴木秀人、上本といったジュビロ勢に戸田、阿部勇樹、黒部を加え、ゴールは榎本達也が守っていた。
しかし、これが待ち焦がれていた未来だとは誰が想像しただろう。
トルシエからのコメントが紹介された。
【類い希な才能を持ち皆さんと共に歩んできた代表チームを、突然の事故により全て失うといった信じられない事態に、私は掛ける言葉がありません。日本の皆さん、そして国民的英雄を失ったブラジルの皆さんに、深い哀悼の意を捧げます。
とりわけ小野や小笠原といった世代とは、私自身共に成長し、栄光を分かち合った印象が強く残っています。彼らは私の息子も同然でした。そして2002年のワールドカップを戦ったメンバーとも、家族同然でした。全て私の誇りです。彼らを失った皆さんの悲しみは、私も同様に抱いています。まったく・・・何ということでしょう。
そしてテクニカルディレクターとして、彼らと運命を共にしたジーコ。私たちはブラジル国民、日本国民と共に、大切な財産を失いました。
本来であれば、サッカーどころではありません。しかし、ワールドカップ出場を賭けて最終予選が行われていることも、厳しいが現実なのです。
私たちは戦わねばなりません】
試合開始のホイッスルが鳴った。
★
連戦の疲労が溜まっているはずだが、日本はベテラン勢を始め積極的に動いた。
ロクに準備もできないまま酷暑の地へ駆り出され、強敵と戦い、それでも崖っぷちで踏ん張り続けてきた選手たち。選手も、スタッフも、サポーターも、何かに突き動かされているようだった。
身体は重い。小さなミスの連続がそれを物語る。
しかしこの東南アジアの地まで駆けつけたサポーターの「ニッポン」のコールはそれを励まし続けた。
皮肉なことに、大事なものを失った後で、全てのまとまりが生まれているようだった。
僕は中田や小野たちを失った事実と、今残された者たちが戦っている現実を重ね合わせ、胸を詰まらせた。
10年、彼らが、僕らが積み上げてきたものは何だったのか。
その結晶は、無惨な方法で奪われた。
残ったものは、何なのか。
目の前の画面でゴンや名波が、倒されては立ち上がっている。
12分。阿部の直接FKがバーをかすめる。
17分。上本のスルーパスに藤田がDF裏へ抜け出すが、相手GKがセーブ。
34分。日本ゴールから約30メートルの地点でFKを与える。嫌な予感がした。
クリアが中途半端で、ゴール前で混戦になる。こぼれ球に、カタールの選手が一瞬速く反応する。先制点はカタール。
トルシエの秘蔵っ子、弱冠二十歳のFWムフシン・ムハマディだった。
44分。疲労から集中力が散漫になり、パスミスをカットされてそのまま一気にドリブルで突き破られる。
またしてもムハマディ。
トルシエのサッカーじゃない。いや、それは思い込みなのか。
鈴木秀人がイエロー覚悟で後方から掴みにかかるも、しかしミドルレンジから放たれたシュートは榎本の手をかいくぐって、ゴールネットを揺らした。
決定的な2点目だった。日本選手は、心身深く疲労していた。
それでも、大声で声を掛け合う選手たち。名波が遠目から放ったループがゴールマウスを逸れた直後、前半終了の笛が鳴った。
「まだわからん」
彼がそう言った根拠はわからない。僕は最終予選のこれまでの4試合を観ていない。
この絶望的な状況に、強がりでなくそう言えるだけの何かを、今までの試合の中で感じていたのだろうか。
後半、日本は中山に代えて久保、西に代えて本山を投入。
彼らが残っていた・・・! リザーブの選手をチェックし損ねていた僕は思わず呟いた。
「本山は怪我から復帰したばっかで、メンバーから漏れとったんや。久保はまあ、例によってギリギリ落とされたってやつ」
日本は雑にならず、丁寧にボールを繋いでいこうという意図が見えた。
しかしカタールは予想通り引いて守りを固める。ボールはキープできても、崩せない時間帯が続いた。
周囲が沸き立ったのは、66分。コーナーキックから久保が頭で折り返し、黒部のシュートのこぼれ球を戸田がミドルで突き刺した。
ゴールマウスの中に転がるボールを、久保が駆け寄ってキーパーから奪うと、センターサークルに駆け戻った。他のメンバーも表情を変えずにハイタッチしながら、自陣へ走る。
本山が、名波が、田中誠が声を掛け合って走る。
残り20分。
★
僕が少し過去に戻れば、もしかしたら事故から代表を救えるかもしれない。
いや、訃報を聞いた時から、その考えはあった。
しかし、この代表を奪われた後の日本の戦いぶりを、見てみたかったのだ。
もし僕が事故に遭うはずの代表を救ってしまったら、今の彼らの戦いは存在しないことになる。
サポーターのこの愛情に満ち満ちた声援も。トルシエの声を詰まらせたコメントも。
もし・・・もしも彼らがこのゲームを追いつき、逆転するのを見てしまったら、僕はこのチームを「消す」決断ができるだろうか? 惨事の悲しみの中で生まれた心底の一体感、そして残された選手による、絶望の淵からのワールドカップ出場を「消せ」るだろうか?
「帰るんか。まだ途中やぞ」
振り返って見えた画面には、山瀬が交代の準備を終えて立っていた。
僕は足早にそこを去った。
それでもそんな悲劇は、受け入れられるもんじゃない。
人気のない、静まりかえった街を歩く。過去へ戻るのだ。事故が起きる前の時間へ。
突然、家やマンションの中から、歓声が沸き上がった。
capter 2
★
GK榎本達也は、自陣ペナルティエリアを飛び出しながら考える。
オフサイドギリギリでDF裏に飛び出した19歳のハミス・ラシドのことを。
今日2ゴールを奪っているムハマディほどのスピードや強さはないが、精密なクロスを上げられて何度か肝を冷やしたことを。
後半途中から入ったこの若いアタッカーに、疲れによるシュートミスは望めないことを。
榎本は分かっている。チームは既に3人の交替枠を使い果たしていたことを。
しかしそれ以上に、たとえGK不在の10人で延長を戦うことになっても、この時間帯に奪われる1点は、日本にとっての絶望を意味することを。
★
《日本……!…!…………同点に……………………》
山本浩の、努めて興奮を抑えながら、しかし感情に震わされた実況アナウンスが、とぎれとぎれに聞こえてきた。静まりかえった夜の街。テレビ観戦をしているとおぼしき住民の歓声と共に。
さっきまで見ていた中継。日本が追いついたのだ。
不意に聞こえてきたその放送に胸を高鳴らせる直前まで、僕はずっと、ひとつの不吉な言葉について考えていた。
『運命の必然』
運命というものは必然であって、たとえひとつの出来事を阻止・変更しようとも、大筋で帳尻あわせの波に飲み込まれてしまう。
例えばワットが蒸気機関を発明していなくても、世界のどこかで誰かが発明していた。つまりこの時代の産業革命は必然であったのだ。織田信長が幼い頃に殺されていようと、別の誰かが戦国の戦い方を変えていた。日航機墜落の惨事を未然に防いでいたとしても、日本のどこかで同様の惨事が起こっていた・・・そんな説を聞いたことがある。
それなら、日本サッカーの必然は何だったのだろうか、と思う。
ドーハの必然、三浦知良の必然、中田英寿の必然、ナイジェリアWYの必然、鈴木隆行のゴールの必然…………
日本代表23名の死が、運命の必然であるとしたら。
少なくともその惨事と同様の意味合いの出来事が、運命の必然だったとしたら。
絶望によって地面から引き剥がされそうな心と体を、静寂の闇から微かに伝わってくる「彼ら」の戦いが繋ぎ止めていた。
今現在、異国の地で確かに行われている「彼ら」の決戦を、大一番で2点のビハインドをはね返し今なお戦っている「彼ら」を見届けずに、帰ることはできなかった。
踵を返し、走る。後半はもう10分も残ってはいない・・・
★
同点ゴールは山瀬投入後10分過ぎに生まれた。
久保、黒部、藤田、本山、山瀬と揃った前線。
名波がボールをキープした瞬間、久保はDFを釣ってゴール左へ流れ、黒部がそのスペースを突いた。
藤田・本山はサイドへ開く。
名波の選択の行方を誰もが注視した瞬間、名波はドリブルで中央へ突っ込んだ。
虚を突かれ慌ててDFがミドルのコースを消しに踏み出すと、名波は右のアウトでボールをはたく。
山瀬がいた。
DFを抑えながらそのままリターンすると、名波の眼前には一縷のゴールネットまでのコースが開けた。
正確にコースを狙わねばならなかったが、渾身の力を込めた。
そうでなければ、疲れた脚は動いてくれなかったから。
インパクトした後、勢いで倒れ込んだ。ブザマだ。でも疲れてるんだ、勘弁してくれ。
いや…ボールの行く末を見るのが、怖かったのかもしれない。
顔を上げると、皆が泣きとも笑いともつかない表情で叫び、走り寄ってきた。
正直これで勝ったと思ったと言わければ、ウソになるかもしれない。名波は半ば自分を笑いながら、駆け寄った仲間の重みを感じた。
★
日本は同点に追いついた余勢を駆って攻め込んだ。攻撃偏重のメンバーに入れ替わっていたこともあるし、延長に入る前に決着を着けたかったこともある。
疲労していたからだ。
この時間帯にきて日本ペースになっていた。延長に入れば、また流れが変わってしまうかもしれない。
本山の切り裂くような弾道を描いたシュートをGKのファインセーブで防がれた時、テレビ観戦していた連中は「あ~」と叫び頭を抱えながらも(いける)という笑みを浮かべていた。どんまい、コーナーキックとれた。次は久保が決めてくれるかもしれない、いや、黒部がやってくれる。
明るい未来への予感が、その場を支配していた。
名波のコーナーキックは久保の頭に届く前にカタールDFに跳ね返された。
しかしこぼれ球を戸田が拾い、一旦サイドに開く。
藤田はコーナー付近に残っていた名波へボールを繋ぎ、中へ走る。ボールはイメージ通りのテンポでイメージ通りのスペースに返された。
藤田は敵陣のゴールライン際でボールをコントロールしながら、走り込んでくる山瀬を視界の端に見つける。さらにその向こうにはオーバーラップしてそのまま残っていた鈴木秀人も見えた。
誰もが決勝点のラストパスかと思ったその軌道は、間一髪飛び込んだカタールDFによって山瀬を逸れた。鈴木秀人は逆モーションからかろうじてボールを止めたが、瞬間走り込んだDHアブドゥル・サハイルにボールを奪われた。
サハイルは狙い通り、既に一直線に走り出していたハミス・ラシドにロングパスを送る。
ラシドは日本の最終ラインを超えるところでトップスピードに乗り、ワンタッチでボールをコントロールすることに成功した。
その最終ラインの田中誠はムハマディを警戒していた分対応が遅れる。
ムハマディを上本に受け渡し、追う。
(追いつけない)と直感的に理解しながら。
★
室内は静まりかえっていた。
サッカー・バーに戻った僕が大型スクリーンに見たものは、一発レッドを提示されて退場する榎本達也の姿だった。日本の敗北を、首の皮一枚で阻止した若いGKの姿だった。
日本ベンチは慌ただしく動いた。
柳下も岡田も表情は変えなかったが、勝ち越したい一心でムハマディを囮に使った単純なカウンター狙いを見抜けなかったことを悔いた。
そして早急に指示を与える必要があった。
鈴木秀人がキーパーグローブをはめ、GK用のジャージーを被る。DHの戸田が最終ラインに入り、名波が下がり目のワンボランチ。攻撃偏重は変えず、攻めるしかない。GKを失ったディフェンス。攻め込まれれば多分、長くは保つまい。
しかしその悲壮な算段も、プレー再開直後のフリーキック、そして残りのロスタイムを凌がなければ意味を成さなかった。
榎本に脚を掬われてファウルをもらったラシドがボールをプレースする。
日本は全員がディフェンスに戻っていた。防御一辺倒に回ることは避けたかったが、一人減った直後のセットプレーは万全を期さねばならなかった。
ラシドは一度フェイクを入れ、日本のディフェンスラインの動きを観察する。
そして一瞬ラインが乱れ修正する半端なタイミングでクロスを蹴り込んだ。
トルシエ!これはあんたの時に相手から再三やられた戦法じゃないか・・・!
しかし狙いはディフェンスラインでなく、急造GKの動揺だった。
左脚から放たれたボールは微妙にアウトに掛かり、カタール選手の頭でなく、直接ファーのゴール上隅を襲った。
GKでなければ届かない弾道だった。
★
2004年2月12日。
日本は国立競技場でイラクと親善試合を行った。
「ドーハの悲劇」から10年と数ヶ月。
日本はJリーグを創設し、10年の歳月を重ねた。
二度のワールドカップも経験した。
中田英寿や小野伸二といった、海外でもレギュラークラスとなる人材も輩出した。
方やイラクは長く政情不安に晒され、サッカーにおける環境も、とても整っているとは言い難い。
その対照的な二国が、10年前ほぼ同レベルの位置からスタートを切って、現在に相まみえた。
試合は柳沢敦と三都主アレサンドロのゴールで日本が勝利したが、内容はほぼ互角だった。
国内組中心のメンバーとはいえ、互角、である。
ジーコは「非常に厳しい試合だった」とコメントした。
日本チームの環境も、サポート態勢も、財力も、それは日本の社会を反映した「力」の要素である。
僕たちが代表に投影する想いは、様々な意味で同じ要素を共有してきたことに、その基盤がある。
たとえ大きなアドバンテージをもってイラクを圧倒したとしても、日本の「力」によるものならば、それは引け目を感じることのない、僕らの「誇り」になるはずだ。
しかしこの試合で見たものは、日本選手の、スポイルされているとしか思えない表情と、覇気のない戦いぶりだった。
日本の強さも、弱さも、やはり僕たちが自らを投影すべき対象だ。
力が及ばないなら仕方がない。
しかしイラクよりも圧倒的に大きなアドバンテージを与えられてきたのなら、それを背負い、勝利への意志として表現すべきではないのか。
「ニッポン」コールがこだまする。
やめてくれ、と僕は思った。
いつも、当然のようにそこにある。
そんなものじゃない、と思った。
★
現在は、既に、僕が見た未来とは微妙に違う流れになっている。
最終予選はセントラル方式でなく、オセアニアを含んでもいない。
ジーコは監督としてアジア1次予選の指揮を執り、柳下正明はジュビロの監督を辞任している。
悲劇は回避できるのだろうか。
今となっては幻でしかない、たった一年後の悲劇と、残された者の戦い。
そして、歓声。
★
極度の疲労で、精神的に切れてしまうともう一歩も動けなかった。
10分間の休憩は、さほど体力の回復には役立たず、逆に精神的なテンションを保つことに苦労した。
岡田が冷静な口調で選手に声を掛けて回り、アルディレスと柳下は通訳を介してしきりに話し合っている。
延長戦前に全員で円陣を組む。いつか見た光景。
そう、ジョホールバルだ。
崖っぷちで追いついた展開も似ている。
しかしもうほとんど足が止まっていたあの時のイラン選手以上に、日本選手は疲弊していた。
あのゲーム以来、実質的に代表の精神的支柱であり続けた中田英寿は、もういない。
目の前の彼らの苦闘はそのまま、失われた人間の存在と記憶を映し出していた。
★
(狙われることくらい分かっている)
そう思いながら鈴木秀人は大声でマークの指示を出す。円陣で一番大きな声を出していたのも彼だった。
鈴木が指先でラシドのフリーキックを凌ぎ、コーナーキックを凌ぎ、Vゴール方式の延長戦に入ってからも、カタールのゴール前への執拗なロビングは続いた。
DFはそれを警戒し、低い位置で構えざるを得ない。
名波の動きは極端に落ちていた。
藤田、本山も下がり気味になるが、中盤でのボールキープ率は落ちていた。
攻めの組み立てができないどころか、前線までボールが繋げない状況が続く。
じわじわと疲労による限界と焦りが日本を覆う。
前後半の延長で決着が着かない場合はPK戦。
急造GKで臨まねばならない日本は、圧倒的に不利だった。
★
トルシエは、ナイジェリアのワールドユース大会を思い出していた。
決勝トーナメントの1回戦、日本と対戦したポルトガルも交替枠を使いきった後負傷でGKを失い、急造GKで戦った。延長戦まで凌ぎきったものの、結局PK戦で力尽きた。南が1本止めたのに対し、ポルトガルは5本全て通されたのだ。
中盤を支配し、リスクを冒さずにパワープレーを続けていればいつか鈴木にミスが出る。
最悪同点のまま終わっても、PK戦になれば勝利は堅い。
要はリスクを冒さないことだ。日本にはもうカウンターとセットプレーしか攻め手はない。
そう考えるトルシエの眼前で、本山が仕掛けた。
モトヤマ……!
全く慌てる必要のない深い位置からのドリブル。しかし続いてトルシエの見たものは、本山に向かって走るチェックマンの脚のよろめきだった。
カタールの選手もまた疲労していた。
トルシエは脱兎の如くフィールド付近へ走り、叫んだ。
★
本山自身もまた、ナイジェリアWYを思い出していた。
決勝、小野を累積警告で欠き、準決勝までの戦いで疲弊しきったチームはスペインに惨敗を喫した。
小野の穴を埋める働きを期待されていたことは知っていた。しかし思うように身体が動かなかった。
今は、動く。
ナイジェリアを見た誰もが思い描いた、日本の希望に満ちた未来。
今は本山一人が、それを背負って走っていた。
一人、二人とかわす。スペースへ駆けるより、疲労度の濃いDFを狙って抜きにかかった。
後半からの出場とはいえ、ケガから復帰したばかりの本山のスタミナも万全とは言えなかった。しかし
本山は、賭けたのだ。
サイドを抉ってクロス。
フィールド上でたった一人、そのイメージを描かなかった者が、突然放たれた刃のような縦パスに反応した。
久保が、DFの裏を取った。
すぐさま対応するDFを大きなストライドで一歩置き去りにすると、再三好セーブを見せているGKアリが久保の前を塞いだ。ファウル覚悟の突進だった。
久保は左脚でタッチしてかわしにかかるがアリの左腕に阻止され、そのままアリと激しく交錯した。
倒れる久保は、それでも、目の前に転がるボールを見た。
渾身の力を振り絞って出した右脚が、微かに、もう何年も見慣れたボールに触った。
目の前を、カタールのDFがスローモーションで駆け抜ける。
ボールはイライラするほどゆっくりとゴールに向かい、スライディングしたDFの脚を風船のようにかわすと、ゴールラインを越えた。
久保はそれを見届けると、芝に顔を伏せた。
本山も、名波も、久保に駆け寄る力はなく、その場で、泣いた。
全員が倒れ込んで、その耳で、歓声を聞いた。
<了>