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​以前「似顔絵式」というブログで似顔絵とコラムを載せていたんですが、それがきっかけで話をいただいたのが、JoJo分析コラムでした。おそらく第5部あたりまで予定されていたんですが、3部まで書き上げたところでクライアント会社の一人が「ジョジョなら俺が書く!」とか言い出したらしく、突然のお蔵入りになってしまいました。声を掛けてくれ、間に入っていた企画事務所の方はさすがに気の毒に思ったようで、別の漫画の分析コラムの仕事をいただきました。それは現在でもBizコンパスというサイトで読むことができますが、このJoJoコラムは初公開となります。

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「ドス黒い男」から始まった人間讃歌!ディオの登場

 

のちに大河ドラマのように脈々と続いていく「ジョジョ」は、ミステリアスな「石仮面」のシーンが冒頭のアイキャッチなのだが、ストーリーは実はディオの生い立ちから始まる。

 

少年マンガなのに、なんと「悪役」の描写から始まるのだ! 

 

まずこれこそが、「白」を描く上で「黒」から始めることが、荒木飛呂彦の手法であった。

悪の化身・ディオの誕生

序盤の物語は、経済的には恵まれた家庭に育つ少年ジョナサンの日常が同い年の少年ディオの出現によって脅かされていくという、ちょっぴり辛いニュアンスの日曜こども劇場といった感じだった。

ディオについては、狡猾で強烈な上昇志向があるものの、彼の育った環境では仕方がないとも思えるし、亡き母親に対する思い入れにも共感できる。のちに二人の和解があっても違和感はない。それが少年マンガの常道だったかもしれない。

しかしディオがジョナサンの愛犬ダニーを焼き殺し(普通、子供向けの話でペットは死なない)、成長したのち父親の殺害を企てるあたりから、物語はドス黒さを帯び始める。さらに冒頭で描いた「石仮面」の驚くべき秘密がここで投入され、物語は「恐ろし奇妙な」方向へ進んでいく。

ジョナサンに「父親殺害」を暴かれ追い詰められたことを機に、ディオは「人間をやめるぞ!」と宣言。石仮面を被って血を浴び、吸血鬼に変貌する。文字通り人間と訣別し、「黒(闇)」の側に立つ存在となる。「人間をやめる」…これは実に明快で作者のメッセージにあふれたセリフである。物語の世界観が「人間とアンデッド(人間・生命に反するもの)の対立」となった瞬間であった。

アンデッドとは何か? 痛みを感じず、傷は治らず腐るまま。恐怖心はない。他人に対する思いやりも共感もなく、ただ血に飢え、生前の恨み辛みといった断片的な記憶によって蠢くのみ。

これは逆説的に、「人間とは何か?」を問いかける。「勇気とは恐怖を知ること!」と語りかける。「白」が「黒」によって浮かび上がるように、「人間らしさ」がアンデッドによって映し出されるのだ。

ただ吸血鬼ディオは、人間の頃の意識をそのまま残している。ここが特殊だ。もともとディオが持っていた「悪」性が、石仮面の力を得ることにより深淵に向かって膨張した。「人間でないもの=アンデッド」は一つのテーマであるが、「人間のもつ悪が強化された怪物=ディオ」もまた物語のテーマである。ディオはあらゆる人の心の奥底でつながった悪意や欲望の権化なのだ。

 

だから恐ろしい反面、魅惑的でもある。他人の「善性」を信じ己のみが「善」で生きるのは不合理であり、「良心」があるからこそ人は悩む。ディオの囁きは、自分の奥底にある人間性の「悪」に、甘く、狡猾に響いてくる。

 

 

ドス黒い悪に対抗するのは、

愚直な紳士

 

通常少年マンガは、主人公をまずしっかりと立て、主人公の目的を妨害する敵、対立するライバル、協力する仲間などを周囲に配置していくのが基本である。しかしジョジョの第1部は、「黒」の側から組み立てられた、まず「ディオ」ありきの世界観だったのではないか。

そのディオを「止める」存在、その成長がまさにストーリーとなる。

 

どのような人間か? 

 

そう考えて生まれたのがジョナサンではなかったかと私は思う。人間性の悪の究極というべきディオに対抗しうるのは、愚直なまでの紳士、真っ白な人間性をもつジョナサンだった。「善」性の塊ともいうべき、ディオとは全く対極に位置する男だ。「善」はある意味「愚鈍」な側面を持つ。スピードワゴンがじれったく思い、ついおせっかいを焼いてしまうほどである。吸血鬼ディオとの最初の戦いから生還したジョナサンは、ツェペリから生命エネルギーの表現たる「波紋」を学び、ここに「白」(波紋)と「黒」(石仮面)の対立の構図が完成する。

「波紋」! 

 

何という素晴らしい力だろう。「人間讃歌」を象徴し、悪の化身ディオを消滅させうる「太陽」に並ぶパワー。この「波紋」の発明が、「ジョジョ」を傑作にした大きな要因であることは間違いない。実に鮮やかに、少年マンガ的に面白く、物語の構図が我々の腑に落ちたのだ。

 

「真説フランケンシュタイン」と「ジョナサン編」

「ジョジョ」が巧みなのは、ディオが「怪物」となった原因の一端をジョナサンが握っていたことである。劇中でも語られているが、ディオはジョナサンと出会わなければ、「石仮面」を知ることもなく、怪物にもなっていなかった。しかしジョナサンがいたからこそ、ディオの野望は阻止されてしまう。

ジョナサンは善感覚からディオを止めようとはしているが、同時に責任も感じているのだ。

ここで第1部の終局を見てみよう。

 

ジョナサンは幼い頃の初恋の相手であったエリナ・ペンドルトンと運命的な再会を果たす。ディオを「波紋」によって倒し、因縁の石仮面を処分した後、エリナと結婚。新婚旅行でアメリカへの船旅に発つ。

が、まさに幸せを満喫している船内で、ディオの生存を知る。ジョナサンはディオに殺害される間際、最後の「波紋」を使って船を爆破、ディオと運命を共にすることを選ぶ。

愛するパートナーとアメリカへの船旅の最中に因縁の怪物と遭遇し、運命を共にするこのくだり、明らかに「真説フランケンシュタイン」(1973年/ジャック・スマイト監督)にインスパイアされたものだと思う。主人公ビクターは人造人間アダムを生みだし、アダムはそのパワーゆえ殺人を犯す。彼を疎ましく思ったビクターは彼を「処分」しようとするが失敗。アダムはビクターの乗る船内に忍び込み、ビクターの友人ポリドリやビクターの恋人エリザベスを殺害、最後アダムとビクターは北極の氷山のなかに消える。

「ジョジョ」が違うのは、エリナが生き残った点だ。エリナが救った赤ん坊が「エリザベス」という名前なのは、作者が狙ったものだろうか。そしてエリナとジョナサンの間に宿った生命(ジョセフ)によって、物語は第2部へと続いていく。この血統と誇りの継続こそが、「ジョジョ」の語る「人間讃歌」の重要な要素なのだ。

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「石仮面」を作った男!究極生物と対峙したジョセフ

前回、「ジョジョ」の物語はまず「黒」のディオから作られたのではないかと述べた。第2部では50年前の戦いで生き残ったスピードワゴンやストレイツォが新たなる「謎」の導入に一役買ったあと、真っ当に主人公ジョセフが登場。そのキャラクターが黒人少年と警官とのエピソードで語られる。舞台はアメリカ!

 

 

ジョセフ・ジョースター

 

序盤のメインとなるエピソードは、第1部で「波紋」の達人だったストレイツォが不老不死の誘惑に負けて狂気に走るというショッキングなものだったが、この戦いでジョセフのキャラクターが詳しく描写される。

「おまえの次のセリフは『赤子を殺すより楽な作業よ』………だ!!」

常に相手の一歩先を読む観察眼を示す、ジョセフの得意技「セリフの先読み」。さらにユニークな「対策」を練り上げる機転も併せ持つ。ディオを研究したはずのストレイツォも、ジョセフには先手先手をとられ、「吸血鬼」の圧倒的な能力でようやく食い下がったという程度で敗北する。

 

この戦いの前にスピードワゴンから

 

「ジョナサンと顔はそっくりだが、性格は紳士というにはほど遠いヤツ…」

 

と評されたジョセフ。確かに、助けることが第一で方法は常識外れ、逃げるときは「逃げる」といった柔軟性は、名より実をとる彼の価値観を表している。一方ストレイツォは、彼の深い本質を察していたようだ。

「とぼけた男だがやはり激情の性格であったな」

 

「表面上の態度はまるで違うがやはり謎や冒険に首をつっこむ性格!似てるなァ!『石仮面』の謎に興味をもったジョナサンの性分に!」

 

ジョースター家は代々短命な一族・・・とスモーキーのナレーションで語られるが、結果的にジョセフは長寿を全うしている。この短命の宿命を覆している部分や、コミカルなキャラクター、アイデアマン・・・というところから、私は「ルーツ」(アレックス・ヘイリー原作のアメリカドラマ 1977年)のチキン・ジョージと重ねて見ていた。黒人奴隷の問題を扱ったこのドラマ、苦難を受けながら誇り高く生きるクンタ・キンテの描写から始まり、シリーズラストは彼がよく面倒を見ていた娘であるキジーの息子ジョージが、天才闘鶏師として成功を収め、皆を迎えに来るシーンだった。

「短命」の流れを断ち切り、まさに人類を超えた存在である「最強の敵」カーズやワムウ、エシディシ、サンタナと戦い、これを退けた機知とバイタリティをもつジョセフは、シリーズの中でも特に印象が強い。

戦う理由

ワムウとエシディシから体内に埋め込まれたリングによって、ジョセフはこの「人類を超越した存在」を倒さない限り33日後に死ぬ運命となる。相当なハードラックだ。

才能はあるが粗削りで、とかくラクな方向へ行きたがるジョセフがこれに挑むには、周囲の強力なサポートが必要になる。波紋の達人リサリサと、ウィル・A・ツェペリの孫シーザーがそれである。二人ともジョセフと同じく石仮面との因縁があった。勝てるかどうか分からない強大な敵を相手にしても、戦う理由を背負って立ち向かう姿は、悲壮感に溢れる。

シーザーはワムウとの再戦に善戦するも敗れ、瀕死の重傷を負う。「神砂嵐」によって崩壊した天井に押し潰される間際、シーザーはワムウから奪った解毒剤入りのピアスを、最後の波紋を練ってジョセフに残し、ワムウに向かって高らかに言い放つ。

「おれが最期にみせるのは代代受け継いだ未来にたくすツェペリ魂だ! 人間の魂だ!」

 

・・・物語のテーマを、端的に言い表したセリフである。一族が受け継いできた誇り、矜持の下に、シーザーも弱冠二十歳にして命をなげうったのであった。

 

そしてジョセフとリサリサが彼の死に遭遇するシーン。瓦礫だけでシーザーの姿が見えない状況のなか、ジョセフは彼を必死に捜す。リサリサは感情を押し殺し、ワムウを追うよう指示する。しかし崩落した分厚い天井の下から流れる血を目の当たりにして、二人の感情は堰を切る。シーザーの死を、崩落した分厚い天井の下から緩やかに流れる血と静寂によって表したこの演出。「ジョジョ」全シリーズを通じても屈指の名シーンである。

 

 

「柱の一族」の演出

ジョセフたちの敵となる「柱の一族」。彼らは一万年前に同種族を滅ぼし、人間や石仮面で変身させた吸血鬼を食糧としながら、唯一の弱点である太陽を克服して「完全生物」となるためにエイジャの赤石を追う。彼らの身体的特徴はサンタナの事件で語られ、さらに格上のワムウ、エシディシ、カーズは戦士としての経験も豊富で、それぞれ独特の「流法(モード)」を持つ。

ワムウはシーザーの仇だが、純粋に強さを追い求める戦士で、第1部で登場したブラフォードに通じるような、ある意味尊敬に値する好敵手として描かれる。シーザーの見事な最期を前に、「華麗ではかなき男」と彼を称える。

少なくとも一万年前から生存し、二千年の単位で睡眠する「柱の一族」にとって、寿命たかだか百年の人間は「はかない」存在でしかない。しかしその「はかなさ」に、初めて敬意を向けた瞬間だった。

そして今度はワムウが「戦車戦」で敗れ、消滅の途中でジョセフに語りかける言葉は、人間に共通する命の捉え方、哲学を感じさせる。シーザーとのやりとりを伏線とした見事な演出だった。

そして、カーズである。

 

クールな外見、暴走車から子犬を救ったエピソード、盟友エシディシに対する「義」のようなセリフ・・・

 

これを「勝てばよかろうなのだァァァァッ!」でひっくり返した瞬間、多くの読者が椅子から転げ落ちたのではないだろうか。

さらにこの「ゲスの極み」のようなカーズが、エイジャの赤石をはめ込んだ石仮面によって「究極の生命体」に変身してしまうのだ。

ゲスの極みが「究極の生命体」に変貌。これほど始末の悪いことがあるだろうか。まさに人類にとっての「絶望」である。

 

だが、物語の主人公ジョセフこそ、このような狡猾で傲慢で卑怯な敵のスキを突いて勝利するキャラクターだったのだ。「天体望遠鏡並み」の視力を持つはずのカーズは即席の人形で欺かれ、シュトロハイムの加勢もあって、ヴォルガノ島火山の噴火口に軍用機ごと落とされる。カーズはそれでも這い上がってくるが、今度は自らの「波紋」を利用され噴火活動を誘発、大気圏外へ吹き飛ばされてしまう。

 

死ぬこともできず、永遠に宇宙空間をさまよう身となる。

 

「そのうちカーズは考えるのをやめた」・・・

 

「究極の生命体」の能力が全くアダになってしまったというオチであった。

「石仮面」を作った男を地球の外へ放逐したことにより、「石仮面」にまつわる物語は幕を閉じた。が第3部、最悪の因縁が海の底から浮かび上がるのである。

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「スタンド」の登場!

学ランのヒーロー・空条承太郎

読者にとって、第1部ジョナサンの身を挺した自爆が「徒花」となりDIO(ディオ)が生き残っていたことは、少なからずショックだったのではないだろうか。しかし連載当初から、先祖の因縁が子孫に襲いかかるという構想はあったという。100年にまたがるDIOの因縁に日本人の高校生・承太郎が立ち向かう。満を持しての第3部!

 

「(幽波紋)スタンド」

 

大西洋沖でジョナサンと共に爆死したと思われていたDIOがジョナサンの首から下を乗っ取り、棺型のシェルターで生き残っていたという衝撃的な事実から物語は始まる。

「先祖からの因縁」が子孫を襲うという恐怖、これは「恐怖新聞」(1973~76年 つのだじろう)にある一つのエピソードを彷彿させる。先祖の理不尽な仕打ちによって殺された按摩師が、死ぬ間際「孫の代まで祟る」と言い残し、その通り現代に因縁霊となって現れ、主人公鬼形と親しい兄妹に取り憑き、錯乱した兄が妹を殴り殺すという凄惨なものであった。また、同氏には「うしろの百太郎」(1973~76年)という作品があり、「守護霊・百太郎」が少年一太郎をさまざまな怪事件から守るという物語で、これが「スタンド」の着想の原点になったのではないかと個人的に確信している。

それはさておき、超能力を「傍に立つ守護霊」のごとくビジュアル化した「スタンド」。これによって「波紋」を超えたさまざまな超能力の発想が生まれ、以降の続編長きにわたって設定が活かされ続ける。

大きく変わったのは、まず主人公を含め、「スタンド能力」を持つ者は特に訓練することなしに超能力を扱えるという点である。

ジョナサンもジョセフも「波紋」を使って戦うために過酷な修業を経てきたのだが、その「手続き」がなくなった。「コントロールするには強靱な精神力が必要」という文言があるものの、基本的には天賦の才があればそれでいいのである。つまり、特に志を持たない者や、子供、老人、あるいは動物であっても、恐ろしい能力を持つ「敵」「味方」になりうるのだ。

また今回はスタンド能力がタロットカードに喩えられており、神秘的で、選ばれし者たちであるというイメージを与えることに成功した。

 

「団体戦」と空条承太郎

英国を舞台とし、英国人を主人公に始まった「ジョジョ」であったが、ジョセフとスージーQの娘ホリーが日本人と結婚し、その息子である日本の高校生・空条承太郎が主人公になった。

作者は「バビル2世」(1973年)を見た当時、主人公が学生服で活躍する姿にカッコよさを感じ、本シリーズでは空条承太郎が学ラン姿で旅することにこだわったという。「学ランがカッコイイ」は氏の「美学」である。

その空条承太郎。これまで登場したどのキャラクターよりも大人びて見え、さらに最強といわれるスタンド「スタープラチナ」を操る。基本的に「負けを感じさせない」主人公である。「努力型(ジョナサン)」から「アイデア型(ジョセフ)」を経て、「天才型(承太郎)」へと変わったわけであるが、実は連載当初のジョナサン編から、世間では「北斗の拳」や「タッチ」など「天才型」(努力の描写に重きを置いていない)の主人公が主流であった。氏は「ジョジョ」の世界観の組み立てや「血統」のテーマから、敢えて時流に乗らず、オーソドックスな「努力型」から始めた。地道に特殊な世界観の構築を続け、それが読者に完全に認知されてから、ようやく世間の時流に乗ったのではないだろうか。

また第3部になり「団体戦」の要素がクッキリとしてきた。主人公不在でも、サブキャラの活躍によってエピソードが進み完結する。またこのサブキャラは過去に主人公が戦った相手である。これは連載当初からすでに少年ジャンプにおいて確立されていた「友情・努力・勝利」に並ぶヒット作の論法だった。

 

3部でようやくこの「ジャンプ王道」の乗っかってきたのは、逆に氏の忍耐強さを感じずにおれない。先の推測に反し、王道に背を向け続けるのに限界を感じたのかもしれないし、「スタンド」の発明からキャラクターが増えるのは必然なので、この手法がハマると考えた、柔軟な転換なのかもしれない。

ストーリーは違和感なく「団体戦」へと転じ、必然的に主人公・承太郎は「大将(最強)」の役割を担う。道化やピンチは派手キャラであるポルナレフ等に演じさせてエピソードを展開し、寡黙な承太郎が要所要所を締めながら、DIOとの最終決戦を迎える。

 

 

時よ止まれッ!「ザ・ワールド

 

承太郎は作者の思惑通り、旅客機、セスナ、船、潜水艦、自動車、ラクダなどに乗りながら、日本からエジプトに至る町なかや道路はもちろん、砂漠、水中まで学ラン姿で旅をした。

 

この長いシリーズ中、演出的な見所を挙げるなら、ポルナレフというキャラクターのターニングポイントとなった「吊られた男」「皇帝」との戦い、「エジプト9栄神」の存在を告げる盲目の男ンドゥールとの砂上の戦いだろう。

毎度戦いはスタンドの「性質」の見極めがポイントで、この2つのエピソードは戦いを通じて推理しながら対抗策を練り上げていくさまがサスペンスに溢れ、最後の「勝利宣言」を含む決着までが実にクールに演出されていた。

そしてラスボス。

 

100年の時を経て復活し、スタンド「世界(ザ・ワールド)」を身に付けたDIOの能力は、「時間を止める」ことであった。「時を止める」・・・正確には、自分以外の全ての物理運動を静止させられる「拘束力」である。

承太郎はDIOの「拘束」下で、彼の動きを「認識」だけはでき、一瞬だけなら「筋肉系」の動きもでき、次第にDIOを含めて逆に「拘束」させた上で、自分だけ動くことができるようになる。つまり便宜上「時間を止める」と表現しているが、二人の戦いは「拘束力」のせめぎ合いなのだ。「スタープラチナ」が「ザ・ワールド」と同じ「拘束力」を発揮し始め、戦いは二転三転していく。独自の「ルール」の中での見極め合いは、これまでのスタンド対決の集大成といえる。

 

しかし承太郎とDIOの最終決着は、渾身と渾身のガチンコ一撃勝負であった。シンプルな「打撃」、「拳」の出し合い。承太郎の勝利としても、DIOの最期としても、明確で潔い決着だったのではないだろうか。

こうしてディオ・ブランドーとジョースター家の因縁は、一応の幕を閉じる。

第4部は、承太郎がよりしっくりくる落ち着いた雰囲気をまとったキャラとして再登場する。そしてエピローグで奇跡の復活を遂げたジョセフが物語の火種を生む・・・

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